自己紹介
March 27, 2018昔から文章がどうしても苦手で、ちゃんと自己紹介みたいなことはしたとがなかったのですが思い切って。
大阪に住んでいて、フォトグラファーをしています。
写真を撮っています。
2年前にストリートだったりシティースケープの写真をネットで見かけてから写真にはまって、ありがたいことに今ではちょくちょくお仕事をいただいています
ただ、今日は写真の話ではなくて、写真を始めるまでのことだったり自分のバックボーンについてです。
2年前の夏、1年半在学した大学を中退しました。
辞めた理由は複雑で自分のことなのに説明が難しいです。
中学、高校の時から「仕事」に対して焦りがありました。
時間的にも、精神的にも人生のほとんどを費やすことになるので、ずっと自分がやりたいと思える仕事をしたいというこだわりがありました。
ただ、自分がなにをしたいかが分からず時間は過ぎていきました。
とりあえず大学に入れば流れでなんとかなるだろうくらいの気持ちで過ごしていました。
高校が大学の付属だったこともあり、そのままエスカレーター式に大学へと進学。
大学生になってからは以前より現実味を増して「仕事」に関して考えることが増えました。
一生携わることだから適当に決めたくないという思いだけはありました。ただ、なにをしたらいいのか釈然としないまま日々が過ぎて行きました。
時間は戻りますが高校を卒業した次の日、自分は西表島にいました。
3週間滞在するということだけが決まっていて、宿泊する場所も決めておらず、それまで1人で旅行に出たことのなかった自分は国内旅行なのに出発前はとても緊張していました。
目的は魚釣りで、釣り道具ばかりがたくさん入ったバックパックを背負い、右手には釣竿を入れたケースを握りしめての”旅”でした。
西表島での生活は、釣りをしたり散策したり、それだけで日は暮れていきます。
シーズン前の宿には自分と、そこで下宿しながら農家の手伝いをしている人が1人。
夜はだれもいない居間で買ってきたお弁当を食べながら洗濯が終わるのを待つ。
テレビに流れる大阪や東京のニュースはとても遠い国のことのように錯覚するような静かな場所です。
そんな生活をしながら宿を転々とし1週間が経った頃、とある集落に拠点を移すことにしました。
島に訪れる前から気になっていたその集落は、同じ西表島にあるにも関わらず陸路が断たれており船でしか訪れることができない場所です。
そこは40人の人が住んでいるかいないかという本当にこじんまりとした集落です。
かろうじて自動販売機が2台あるだけで商店すらありません。 訪れる前日に素泊まりの宿を予約しました。素泊まり以外にも民宿もしていて、女将さんが作るパンがとても美味しいと評判でした。(本当に美味しくて、パンが焼けてる日の朝は卑しいくらい食べた)
初めて訪れた日、船から降り立って見た集落は本当に人がいるのかなと思うくらいの静けさでした。
港の海は澄み渡った青色をしており、小さな魚の群れやそれを狙う魚が集まっていて生命感に満ち溢れていて、静かな集落とのコントラストがとても特別な場所に思えました。
結局、そこに魅せられて残りの滞在はその集落で過ごすことになります。
宿はご夫婦で経営していて、おっちゃんは偶然にも釣りが好きで「今日もなんか釣れたか?」と毎日気にしてくれてました。
2週間程の滞在の中、釣った魚を宿とは全然関係のない集落のおばちゃんが料理してくれたり、宿のおっちゃんや船を持っている人が一緒に釣りへ連れて行ってくれたり。日中は毎日子供達が遊びに来てくれました。家族のように接してくれた宿のご夫婦にはここでは書ききれないくらいお世話になりました。
また、観光シーズンが訪れてからは同じ宿に沢山の人が泊まりにきていて、夜は波1つない湖のように静まり返った海を前に色んな話を聞かせてくれました。そして、何度も港から一緒に過ごしたその人たちが帰っていくのを見送りました。
たくさんの人にお世話になるばかりの生活の中、自分が何もできないことに悶々としました。
ありがとうと言うことは出来ても、お世話になった人達に「何か」を返すことは出来ませんでした。料理が上手なわけでもなく、写真を撮れるわけでもなく。
どんな形でもいいから、自分がどこにいようと誰かのためにできる何かが欲しいと強く思いました。自己満足ではなくて、ちゃんとみんなに喜んでもらえるものがいいなと。
話は大学生に戻ります。
西表島で経験したことや思ったことは頭の片隅にありましたが、多忙な学生生活の中、日常へと埋もれていきました。時間ばかりが過ぎていき、何かを変えないといけないという焦りが積もるだけで何もかわりませんでした。
10年20年と経った時、会社に入ってお金を貰えてる環境になるならそれは幸せではあるけれど精神的には雁字搦めだなと。1度そうなると抜け出せなくなりそうなことが自分にとって大きな恐怖でもありました。もし自分が西表島で思った誰かためにできる何かを始めるなら、今の学生という社会的に失うもものもない今の立場の方が身軽だし、今逃げたらその先はずっと逃げ続けるだろうと思いつめていました。
授業にも身が入らず、だんだんと大学を卒業するということに関しても自分の中で現実味が薄れていきました。
1年が過ぎた頃、3度目の西表島にいました。
40日を過ごし、今まで見れなかった景色を見る機会がありました。
廃村した村、どこまでも透き通る海に反射する光とボートの下を流れていく珊瑚。
水面を走るルアーに自分の背丈を軽く越えるほどの水しぶきが爆音とともに襲いかかりました 。
そして、その瞬間に今まで悩んでたことが全て消し飛びました 。
なんというか、釣りをしている人はわかると思いますが、アドレナリンが駆け巡り目が醒めるようなあの感覚です。
こんなに心の芯から震えるようなことがあるのにそれから目を逸らそうとしていることが馬鹿らしくなり、今まで悩んでたことやぶつかっていた大きな壁がとても小さなものに思えました。
春がおわり学生生活へと戻っていきました。
夏が近づいてきた頃には、心の準備をしていました。
ひとまず、環境を変えよう。そしたらまたどこかに流れるだろう。
退学した後のことは何も決まっていないまま届けを出しに行きました。
退学にも面談があり、それを終えて大学の門を出てきた頃には足元がふわふわしてました。
踏ん切りはついたものの、それまで「大学を出ないと人生終わり」と感じている節があって、先行きの見えない未来にとても不安でした。真っ暗闇の中にぽんと放り出されたような感覚を覚えています。中退したことに関して友達からも心配されましたが、自分でも上手く説明できることではなく冗談でごまかしていました。
それから2ヶ月、3ヶ月と何をすればいいのかわからないまま本当に瞬く間に時間が過ぎました。
釣り関係の仕事なら自分も楽しめるんじゃないだろうかとか悩んだんですがなんかしっくりこなくて。
そんな腐りきった生活をしている中、インターネットで大阪で写真を撮られているフォトグラファーの方達の写真をみる機会がありました。なぜそこにたどり着いたのかははっきり覚えてません。ただ、自分が住んでいる大阪という街を切り取ったそれらはとても衝撃的でした。
これが写真なんだと一気に虜になりました 。
今回は写真の話は割愛しますが、そうやって出会った写真は自分にとって理想の「仕事」です。
全ての時間を費やしてもいいと思えるくらい好きになれたこと、自分がどこにいようと誰かのために「何か」を渡せること。
まだ1人前とは言えないですが、そういった理想を見つけることができたことを幸せだと思います。
今ももっと上手くなれるように毎日のように勉強しています。
さてさて、めっちゃ脱線しまくってますが、、、言いたかったことは
写真が好きだということ以上に西表島でのこと、大学で悩んでいたことが今は自分にとってとても大切で、それらがいまのアイデンティティとなっています。なんだかんだ写真というところにたどり着きました。
もともと自分のことを知っている人はなんで急に写真やり始めたんやろうと不思議やったと思います。
やっていることは変わったかもしれませんが、芯の部分はなにも変わっていません。
社会的には肩書きだったり信用だったりたくさんを失っているかもしれませんが、ちゃんと向き合って決断できたことは財産だと思っています。
釣りで得たものを持ってまた驀進したいと思います 。
自分の今の目標は1人前になって西表島のあの場所に戻ることです。(まだ行けていない…)そして、たくさんお世話になった方達に恩返しがしたい。
中退したにも関わらずこの2年間写真を通してたくさんの人に恵まれました。
辞めた当初からは本当に想像できなかった。
今はフォトグラファーとしてやりたいことが沢山あります。
そして、これからも写真を通してまだ会ったことのない方々に会えることを楽しみにしています。
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